花見と云っても改めてその筋の場所にわざわざ出掛けて行かなくても近場というか自分は仕事で毎日外出しているのでしかも住宅街が多いので現場周辺には庭木で今は八重の桜やツツジが満開で束の間の花見を楽しんでますが荻窪4丁目の裏通り善福寺川の流れの側に建つ旧宅?古びた板塀の上からこんな花々が今を盛りとばかりに咲き誇っていますがコインパーキングへ車を預けての戻り道に思わずスマホカメラを向けて撮りましたが家に帰ってiMacで観たらなんとも言えぬ花に表情があって我ながらの快心作?たまたま陽の光←直射ではなくて薄曇り)とアングル的に良かったのかもしれませんが人の場合はその表情←心境からくる)とシャッターチャンスが上手く合うとこんな絵に写るのでしょうが今ではデジタル技術でどんな画像も撮れてアート的には無いものをまるで実在するかの如くに派手で煌びやかに創作まで出来てしまうのでこんな写真を見ても現代人には当たり前のタダの花の写真にしか見えないのでしょうが食べ物と同じで昔人間は感覚の原点?を知っているのでその意味では感受性が強いと云うか敏感になれるのです!また昔の話しですが結婚は見合いがまだ多くあった頃自分も事前に見せられた写真と会った時の印象の違いに愕然とした記憶があって←たぶん相手もw)顔の場合は表情も大切ですがカメラまでの距離と角度(姿勢)が印象を良くも減少?もさせますが俗に云うカメラ写りが良い!との要因となるのですが自分の場合はモウどこからどう撮っても初老どころか大老人の体裁!下の写真は黄色な淡もパクな我が人生を映してます!
《淡い色彩も条件次第⁈》