不信心と云う言葉がありますがまさに自分は現実主義というか信仰心を無視したタダただ現実⇔現行事だけにしか気持ちを向けられなくて全てに余裕がない人格なのですが昨日は田舎栃木での父親が遺してくれた墓所で毎年11月23日に『六地蔵まつり』といった催事があり昨年は初めての参加だったので地元の方に紹介するつもりで長男を伴って行きましたが今年は2回めの参加で旧宅近くに在るのですが晩秋快晴の庭には菊が咲き誇っていて久しぶりな菊香繚乱を昔田舎で普通にあった気と候を肌で感じながら地元の人←ほとんどが昔馴染みというか同年代で子供の頃の遊び仲間ですが昨年に続き久しぶりな出会いがあって→畑の中に孤島の様に在った墓地も周りはすっかり宅地化してしまいましたが人の心は昔のまま←家族の様に行き来した懐かしさを感じましたが告別の式などのすべての仏事は亡くなった人への供養を口実にして?今生きている人の為に残された人間関係の再構築?と維持継続を確認する為にあるのではないかと常々思っているのですがこの六地蔵様達のユワレは人が死んだ後地獄道へ行く苦しみや餓鬼道、修羅道など苦しみなどから救う六道あるとされる地蔵様の事で←詳しくはネット参照w)墓所の入り口に鎮座されていますがこの祭りとはご先祖様が死後お世話になったであろうお地蔵様に感謝して花線香を手向けてお祭りする事で、また生きている人間同士 日頃の行いが死後どの道を歩むのか決まるそうなので現代では近隣縁者は絆を深める事なく生活はできますがこんな仏事をきっかけにして近くにいても交流の機会がなくなっているので親睦親交の為にもすごく良い機会だと思うので間もなく?自分もこの霊園に永眠する身なので地獄への道だけは勘弁して頂きたいと地蔵様へはお願いして来ましたが少しでも現世において善行の証を建てておかねばなりませんw
《紅い頭巾と前掛けは地元の方の手作りだそうです》