このところの連日の話題は田舎栃木に向いてしまいますが実家は旧奥州街道沿いにあって江戸時代から続くタダ古くから住んでいたという意味での旧家w宿場町だったので東北などでもそうでしたが街道に面した間口の広さによって税金?が掛かったみたいでどこのオタクでも奥行きは深くても間口は数間←10m位しかなくて敷地の幅イッパイに建った家には裏庭へ抜ける土間があって歩行者のみw土足のまま家の中を通り抜けできましたが今思うに時代劇を見ているような住宅環境は自分が子供の頃までありましたが幸い実家には脇にリヤカーなら通れるほどの通路があって裏庭に出てそのまま竹林の中道が農家が点在する農道まで繋がっていましたので街道沿いにある商店→魚屋さん酒屋や郵便局などに用を足す人が実家の敷地内を自由通行wしてましたが昔は今ほどの専用、所有権の感覚はなくて行き交う他人は皆ご近所さんの知り合いばかり!たまに遠くの集落から自転車で町に出るのに近道と知っている人が無言で通過するのはご愛嬌?地主という言葉がありますが広大な畑地や山林などの所有者を指す言葉で田舎ではたとえ数百坪の土地に住んでいてもその場をその世代に限り専用で使える所有権と云うより利用権!先日は旧宅の手入れに行った際に隣地に建つ奥さんが出て来て「娘がワタナベさんの敷地を車で曲がる時にどうしても踏んでしまうので気にしているんですよ!」っと言ってもらいましたが「いえいえ土地なんかダレの所有物でもありませんよ!」っと言いながらもニワカ地主?としてはワルイ気はせずに得意満面?で返しましたがこんな私道と公道に面した敷地には境界を標示するモノはなくて『だいたいこの付近』wまあ売買や正式に賃貸する場合にはしっかりとした測量をしなければいけませんが▷良い意味での臨機応変▷ご都合主義でも変幻自在な対応はローカルだからと偏見ではありませんが土地など誰の物でもないその時代に生きている人達が共通で使える権利!所有権では無い共用の利用活用の権利なのです!
《神社境内にも生活権がある?》