郷里を離れてどこか別な場所で暮らそうと演歌(矢切の渡し)の世界を自で行く様な家出同然に東北と北海道まで数日彷徨いましたがマッタクの知らぬ土地では生活をスタートさせるにも不安だらけでやはり知り合いを頼らねばならないとケッキョク東京まで舞い戻って今は亡き義兄弟の理解を得て実の弟が住んでいた近く足立区の江北に一旦アパートを借りて布団などの寝具も専門店で作ってもらって数日もしない内に仕事先との調整?がうまくいかずに生活環境も住宅密集地で周りには緑が全くなくてそれだけでもストレスが溜まってしまいそう!ここでは暮らせないだろうと電話帳から広告を大きく出している表具の店なら職人として使ってもらえるだろうと問い合わせたらすぐにでも来て欲しいと言われて◁これが今考えると(大きな縁)だった気がしてますが偶然にも叔母が住んでた西武池袋線 桜台の数キロ秩父寄り『石神井公園駅』当時は白塗り木造駅舎で改札も木で組んだ田舎の駅とすべてが同じでホッとした記憶がありましたが今日泊まる処がナイと言ったら駅が目の前←改札口はありませんでしたが)材木屋さんがオーナーのアパートを紹介してもらって当時としては先進な木造ですが和式ながら上の方にタンクがある水洗トイレで窓ガラスが2重で断熱と真南に向いた陽当たりと通風は最高で夏と冬は器具を使わなくて快適に過ごせて6年後に高松に家を構えた時も(自分は当面ここで暮らすわ!)っと冗談を言った覚えがありましたがその後北口にも改札ができてタマの休みには池袋に買い物や食事をするのを楽しみにしていて望んでいた緑の環境も駅名通りな都立の公園が歩いても行ける場所にあって次男はこの地の産!間もなく独立開業したので『石神井渡辺表具店』と銘打ってましたがその後居住地を二回替えてますが今だにこの屋号は懐かしさと共に大切にして先日亡くなった工務店←自分の家を建ててもらって下職として可愛がって頂きました)の社長様には(石神井渡辺表具店)として供花をさせてもらって関連して今でも昔のお得意さんがまだ居てくれるので『石神井』の町は思い入れの多い場所なのです!(中座?)
実は昨夜は建設組合の寄合が石神井でありその様子を書くつもりが前置を長く描きすぎて中座してしまいました、ともかく石神井公園のある街には第二の故郷的に多々想い入れがまだまだあるのです♪