ここで何回も紹介している通りに自分は埼玉県生まれで栃木育ち訳あって人生半ばから東京暮らしなどと語ってみたところで現在では世界中が交通や通信ネットの発達で距離感は無くなって どこで暮らしても同じような生活環境が整っていて大差がなくてその地方独自に伴う風土とか郷愁なども薄れて味気ないのですが昔人間はちょっとでも目にする情景日常見慣れない光景やメッタに会う事がなくなった他人との出会いがあるので懐かしさもあって時間のある時は日帰りできる範囲で育った栃木や20年間ほど仕事で通った埼玉県南部を訪れるのですが今でもお得意さんが年に数回数人の方々から「お元気ですか!」「たまには寄って下さい!」などとお声を戴くのでその気になってw行くとちょっとした小仕事を頼まれて今回はトイレの壁のみ半日作業ですがネクストサンディーに懐かしの桶川市まで!最近下見に言った際驚いたのは道路環境が駅西口から荒川の間が大幅に区画整理?された様で丁字路だったところがほとんどの幅の広い道路で通常の交差点化十字路になっていて大型ジョッピングセンターや失礼ながらこんな田舎にファーストフードや全国展開のファミレスなどが並んで見覚えのあった町並みが大変革!確かこの辺と見当を付けても違う処に出てしまい昔なら地元の練馬より詳しく判った道路事情←且つて知ったる土地柄は住所も聞かずに辿り着くはずが電話をして道案内を頼んでも自分の位置さえ説明できずに??それでもこの街には仕事はもちろん人流と云う意味でも数々の思い出が残る町→朝自宅出ると早くて夜の九時頃までは帰らずに埼玉在住?家には寝に戻る様なものでたまに夕刻早く戻る?と「どうしたの?何かあったの!」っと家人に言われるほど←今思うと笑い話の様ですが実話なのです 生まれた場所はここから北へさらに30キロ行った熊谷市現在も従兄弟たちが住む街の近郊?細かな住所は不明ながら生後二ヶ月を過ごしたw昔は村!本能的に親さを感じているのですが叔父叔母も亡くなって久しく 通り過ぎるだけでも訪れてみたい町並みは子供の頃母に連れられて見た光景は多分どこにも残ってはいないのでしょうが生誕地と云うノスタルジックな想いに耽るのには(帰る)と云う言葉が適しているのでしょうが今でも東京に暮らす田舎者は仮の住まいと云う思いは拭えずにいてイズレは栃木か埼玉に帰る事を希望して居るのですがこの歳まで来るとタブン亡き後かも知れず我→関する事ができなくなってからに成りそうですが健在ならば埼玉は気持ちの拠り所がたくさん詰まった土地柄なので▷東京に戻って暮らしの糧を▷生きる糧→実感を得るために埼玉に帰って味わう生活は自分にとっての理想郷かもしれませんね!
《まずは足元を固める!》