生命の価値観

っと言ってもそんなにオモイ話では無くて昨日19日は次男の子供→長男が12歳になった誕生日!近くに住んでいても孫子より自分の生活の方がダイジとばかりに普段は何もしてやる事はなくて音信オンシン?も月一程度、自分が元気なうちは親として子孫シソンに何かミエを張ってでも一家の総長?たる威厳?を残しておきたいところ←今時古い!)誕生日とは自分も含めてあまり関心が今でもなくて家の者の正確な月日も最近覚えたばかり?なのですがヒトが亡くなると云う事は近親者はもちろん関わった周囲の人に与える影響は大なので大昔?「人の命は地球より重い!」などと発言した政治家?がいましたがマアそこまで云わなくても地球上に今生きている動植物を含めた生き物←人間を含む)は個々の命は有って当たり前でフダンは意識しないモノだと思うのですが未来永劫に命を繋いでいくためには個体では無理→ヒトは族をつくって暮らして、一年毎に来る生まれた月日を子供の場合は→(ここまで成長して良かったね)→(これからもずっと元気て一緒に行こうね!)←と云ってその愛メでたさを祝うのが誕生日なんです←ちょっと理屈ぽかった表現?)がこの歳になると誕生日を祝う事は昔砂山に棒を立ててそれが倒れるまで少しづつ削って?いく遊びに重ねて思うに「もう誕生日など来なくていい!」と感じるのですが本日は同年輩で昔仕事上お世話になった方の誕生日でもあるのですが特別な関係があった訳でも無いのに 笑)なぜ覚えているかと云うと自分は数年前まで健康志向の『1020うんどう!』と称して今日まではどんなに寒さを感じても上着のシャツを半袖で過ごして←寒さに身体を鍛える為に)来たのですがこの日を境に長袖に着替えてましたがこの数年前からは夏でも長袖を着ている習慣←東北での強制された労働環境)が付いてしまい無理に寒さに耐えていると免疫力も低下して高齢化もあって健康志向も逆効果!まだまだ現役生活で他人との交流で自分で言うのも変ですが→世の中に良い影響を与え続ける存在でありたい『生命イノチ」←孫の名の様に『秀』な価値観、存在感を記憶に留めてもらえる様に次の自分の誕生日を目標に活きて生きてみましょう!

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