昔子供が高校の部活でアメリカンフットボールをやっていましたがあの戦闘スタイル?からしてお解りの通り多くの資材と支えるスタッフがいないとチームが維持できませんのでトウゼン父母会があって後方支援?をしますが卒業期に自分が三年間過ごした感想などを綴って会報の名目で冊子と云ってもパンフレット程度の読み物を皆さんにみていただきましたが←結構いろんな事やってましたね〜)ほぼ学歴が無いに等しい自分としては皆さん一流国立大学や名門と言われた大学卒の方ばかりでしたのであまり乱文ではマズイと思って発行前に会長さんに校正を頼みましたが▷当字は使わない▷接続詞の使い方?▷装飾文字のあり方?など かなり正統派的なご指導を受けた記憶があって小説など一切読んだ事がないボンクラ人間にとっては起章の難しさを思い知らされましたがヤハリ▷当字は当然←これも)の様に使って▷わざとカタカナ語を入れてみたり▷w)などと逃げたりして折角教えてもらったセオリーを今では無視と云うかきっちり守ろうとすると基礎学力と知識の無さは文章そのものが成立?しなくなってケッキョクこんな【ブログ】は自己主張なので個性がなければ意味意義はないと言い訳をして本家我流派をとおしていますが→ある文化人?の方からは日本語の基本がメチャクチャなどとのありがたい好評価?を頂くのですがこのところある用件でマジメにコチラの意向を伝える手紙?を書いているのですがもう何十年も手紙など書いた覚えはなくて→恋文なら簡単なのでしょうがw)相手の顔を見ながらの面談なら表情から汲み取れる微細な心理状態を察しての臨機応変な対応もできると云うものですが書いて心情に訴える?難しさをつくズク感じて企画書?と云っても単に物と金銭的に数字だけを判ってもらえるば済む話ではないので老若男女すべての人の心理心情に分け入っての文章創起などこの程度の文筆家←おや!いつの間に?)にとっては到底至難の技!めげずにiPadに向かっているとLINE経由で昔から請いにして頂いている石神井の大きな農家?から電話が入って「枝豆を採ったので取りに来ませんか!」とのありがたいお知らせ!昨日の朝の話ですがさっそく伺うとテニスコート分も在ろうかとの家庭菜園の縁にはこんな季節の花が天を貫く様に←3mはユウにある)咲き誇っていましたが専業農家?の肥沃な大地に基本基礎の農法で育苗→しっかり根付いた大株な大輪はまさに真夏の陽を受けて勇姿を見ている様ですが誇れるこの花の様に文章作りも人生上の華となれる様に自分を活かしてみるのです!たぶんムリ!
《賛!明採るの勇姿!》練馬石神井町にて
年寄りは同じ事を言うとは判っていても二日続けてほぼ同じ内容になりましたが毎日何がしかの発信?を求めて見て頂く方にとってはツカレル話だったかもしれませんが一つのキッカケで多々昔の想いが甦る事は起章の力?なのかなとヤハリ身体と頭の中も常に起動させておかないと不老で不朽不滅の暮らしはできないのかもしれません!ありゃ!