やっとの思いで返信年賀状←ずいぶん前から年末に事前作成して置かず、来てしまった人にのみ返信していましたが)をポストに入れる事ができましたが交通や通信手段が今よりハルカに不便だった時代の日本的?な風物詩の年賀状は車や飛行機、新幹線などで人の行き来やメールなどの通信機器など飛躍的な発達でモウ自然の流れで知り合いで数年前から(年賀状辞める宣言)をした人もいて昨日年始の挨拶に伺ったら「20枚位来たけど自分からは一切書かない!」と豪語?する人もいて→モウ消滅寸前!自分宛に来ていた20数枚のうち今年は5名の方からは届かずタブン時代を読んだ好判断⁉︎をされたのだと思いますが←会おうと思えば世界中どこにいても顔を見ながら誰とでもコンタクトできる時代になっても人間一度始めた習慣はその必要性が無くなってもヘンな義理義務的なものを感じてしまい多分→判っちゃいるけど止められないで形式化しているのではないでしょうか?モシカすると私の場合←来るから出す⇄出すから来るのお互い確認できていない無駄なキャッチボール関係があるのかもしれません?ので今年はとうにお付き合いはやめていた方には申し訳ない←双方余計な手数をかけるので)こちらからお断りの一文を入れて返信したのですが繰り返しになりますがこんなに交流機会が発達した時代に年賀状だけのお付き合いではモッタイナイですよね!っと言ったところで存在自体を否定している訳ではなくて→年末年始気分を味わうのには捨てがたい習慣→賀状だけでも交流の証をしておきたい→年一回お互いの無事を確認したい→時代に即した連絡交流手段を全く持っていない←などの理由で今後も一部の方々の間では果てしなく続くのでしょうが表題《年賀状考》としたものの毎年の事→理想ばかり追って味気ない現実主義?←タンなる怠け者かも)を通そうとしているだけかもしれません!ので来年の今頃この件に対してどう想っているのか→乞うご期待!
《空欄になんと書こうか???》