「七重八重 花は咲けども山吹の 簑ミの一つだになきぞ悲しき」っと突然の雨に立ち寄った太田道灌←ご存知!歌人で江戸城を築いたとイワレる歴史上の著名人)に貧しい農家の娘が差し出した山吹の枝に古歌を託した・・→ここ埼玉の越生オゴセにある『史跡山吹の里』に伝わる逸話でしたが、黄色には敏感に反応する自分としては葉が先に出て鮮烈なミドリの先の方からこんな色彩の花弁が順に咲き始める様サマには春の息吹を感じるのですが子供の頃 田舎の庭先には大きな株があってずっとこの季節 気になる花の一つ!この歌の出だしとは合わないのですが一重の花弁で先端部分の二〜三輪咲き始めた頃が見頃のベストタイミング!陽の当たらない場所で寂しくも美しい姿で咲く花にこの娘さんの姿を重ね合わせると絵になりますよね〜 そんな意味ではこんなにキレイに咲いてはいたのですが今回の花見は手遅れ?なーんて言ってはみても詩人ではありませんので、おじさんとしてはこんな山里に住んでた娘さんはどんな教養の持ち主だったのかと、はるか昔に想いをハセ、ロマンを感じるのでした←チョットキレイに終わりすぎ?
この木は一部中国にはあるらしいのですが日本独自の品種らしく庭木として古代から栽培されて来たようです、歌にある八重咲の方が見た目→豪華でキレイなのですが実が付かなくて一重の方は実が硬く食べられ無いそうです、そこでこの歌を現実的に解釈すると→「こんなに重なるように、たくさんの花を付ける山吹なのに実が一つとして食べられないとは情けない」っとした訳し方←ネット情報)もあったようですが,なるほど!ロマンはとんでしまいますがピッタリな解釈!何事もどこをどう摂るかによって自分にとっての価値観が違ってきますよね、斜面に長く伸びた枝はたいへん柔らかく花を付けてキレイなアーチ形、頭も身体もこんな柔軟に世間の風に揺られながらノンビリいきましょうかね!