故郷は遠くになりにけり!

この季節この時期にナント優雅にドライブ日帰り旅行!とは云えませんが家系問題処理の為の書類取得にモウずいぶん足を踏み入れていなかった故郷栃木県南部の町←国分寺町と云っても今は無くなって三町合併した下野市へ行って来ましたが自分が育った処は旧国道4号線奥州街道と言ってましたが区画整理された町並みは電柱が取り払われて街道の面影を復活してはいましたが現存する一里塚としては比較的しっかりした形で残っていて実家の数百m南→北側から宿場になっていて本陣跡には瓦葺きの門がわずかに往時を偲ばせていましたがもうここを離れて40数年経ちましたが手前の小山市までは友人知人が多く暮らしているので時折訪れる事はあってもわずか数キロ先の実家へは立ち寄ることも無く←事情は言わずと知れた陳腐なお話?)昔は役場と言った場所は既に無くなって国道沿いには総ガラス張りの美術館を思わせる下野庁舎!「ご立派な建物ですね!」っと自分としては嫌味を込めて皮肉ったつもりで→案内コーナーに座っていた女性に声を掛けると「イエイエ小山市の方がもっと素敵なんですよ!」←昔から変わらない自治体同士の見栄の張りっ子?旧番地しか記載しなかったので場所の特定に時間が掛かった様で10分ほど待たされた合間に街を案内する展示コーナーを覗いたら自分が見覚えのある特産品?はたったの一つ手前左寄りに見えてる(あぶみ瓦)近くの和菓子屋さんが史跡国分尼寺発掘の際出土した軒先瓦をこんな饅頭仕立てに創作した物で取り立てた名産品がなかった時代には東京への土産に喜ばれた記憶がありましたが「今でもあるんだ〜!」高校時代の先生の親が役場の収入役←町長のすぐ下の役処)をやっていましたが今は当然知る人もいなくてまるで別次元に舞い込んだウラシマタロウの心境!喪中ハガキで知った親類のおばさん宅へ寄って花と供物を仏前に←形だけの供養をさせて頂き帰路に着きましたが人脈?も減る一方で故郷は近くにあっても遠〜くになって逝くのです!

《もっとタクサンあったはず?》

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