望郷の念!

埼玉県で産まれたとはいえ生後2ヶ月で父の実家である栃木県南部の小さな町へ移住してしまったのでアマリ熊谷市での思い記憶はないのですが?事実上の故郷は日本の歴史に詳しくなくても国分寺と薬師寺と云う寺院?が大昔存在していた事は誰でもお解りかと思いますがその両方が市内に存在した昔は下毛野国←こんな字を書いた?)→立地条件に聖武天皇様が勅令で▷交通の利便が良くて←川や街道が通っている)風水害等の憂いの無い気候温暖な場所◁に相応しく今でも住みやすい平穏な地域ですが自分が暮らしていた頃は下都賀郡→今は下野シモツケ市となってますが人的な交流で一番思い出が残る高校生時代の同級生達とのお付き合いが今でもあって「仲間会」として数年毎の会食や旅行なども楽しんでいましたが昨年来の騒ぎで途絶えた音信を会報などとダイソレタ発案でお互いの近況を知らせ合おうではないか!と会員は殆どが地元に残っている中 練馬にお住まいのワタナベ君にその制作をお願いする事になって?早速昨日から取材開始!結婚を機に地元を離れて埼玉県秩父市郊外の町に移住した女性はその友人から聞いた話ですが「彼女はもう四十数年住んでいるのに地域の風習?に馴染めず旦那さんが同郷という事もあって今もって栃木に戻って暮らしたいと言っているのよ!」との事←これには自分も全く同じ思いをした事があって今では練馬は元住民?の方よりも他県他国?からの移住者が上回っていますが町内会などにも当初から加入して地元に馴染もうとしてもヤハリ地元民同志の結束は硬くて?自分自身の人間性もあるのでしょうがもう慣れましたが地元密着感は少ないのも確か!子供達が独り立ちしたらまた田舎で暮らそうか?との想いをめぐらした時期もありましたが交通の利便性は川や街道を使っての移動に比べてw)格段と良くなって日帰り帰郷もシゴク簡単80キロの距離感は昨日のようにその気になれば電話やメールで音信確認?しかも顔を見ながらでも→♪うさぎ追いしかの山♪ではありませんが故郷は遠くにありて想うモノっと言った時代は今ではどこに住んでいてもこんな感覚はなくなって詩情豊かな人間だけが味わえる望郷感覚かもしれませんが生まれ故郷から160キロ離れた横瀬町に住まう彼女の古里への想いは現実生活よりも気心知れた旧知のリアルな人的交流に自分の人生をより豊かにする暮らし方を求めているのかも知れません!


《若い頃はこんな顔でした!確か?》

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